保育園を増やすか移民を受け入れるかどっちがいい?

あんまりプライベートなこととか政治的な意見は公に書きたくないんだけど、 id:gomi-box から待機児童ゼロチャレンジバトン(#taikijidou0challenge)なるものが回ってきたので書きます。

gomi-box.hatenablog.com

時間が無い人のためのまとめ

タイトルはちょっと飛躍してますが本質は結局はそういうことなんじゃないのかなーと思う。

最初にまとめておくとこの記事にはこういう話が書いてある:

  • 待機児童を減らすことはあくまで手段で、目的は日本の人口を増やすことだよ
  • 日本の人口を増やそうと思うと3人は産まないとだめだよ
  • 働きたいから保育園に預けるってのはワガママだよ
  • でも今の世論や政策のようにワガママを聞いてもらえない状況だと、みんな子供は多くても1人で産むの止めちゃうよ
  • 日本政府がやるべきことは国民個人がワガママ=自己利益の最大化に走ろうとした時に日本の人口を増やせるような方向へ誘導する政策を実行することだよ
  • それができないと年金は破綻するし、経済を維持するために移民を受け入れないといけなくなるよ
  • ちなみに移民も子供を産んで保育園に預けようとするから、日本人は更に保育園に預けられなくなって子供を産む数が減るよ
  • みんなそれでも平気?

そもそも日本の人口を増やさなくていいとか移民大歓迎って人にとっては、この記事は価値がありませんので、ここで読むのを止めていただくことを推奨する。

ここから国に対する要求として次の3点を主張する。

  • 子供を3人産める環境を作れ
  • 育児と仕事の選択をさせるな、両立させろ
  • 保育を親ではなく国の義務・責任にしろ

ここでは「保育園」を0歳から小学校入学までの保育施設をひっくるめた意味で使いたいので幼稚園の延長保育や認定こども園なども含めたいと思う。

最低3人産まないと日本の人口は増えない

女性1人当たり2.08人産まないと日本の人口は維持できないらしい。結婚しない女性もいるだとうし、子供を産まない夫婦もいるので、産む気のある夫婦では3人は少なくとも産まないと日本の人口を維持できないし増やすこともできない思う。なので3人産む前提で話を進めたいと思う。

子供が1人である程度活動できるようになるのを小学校1年生だとすると、1人産んだ時につきっきりで子供の面倒を見ないといけなくなるのは0歳から6歳頃までの6年間になる。3人産むとなると最低でも8年はかかる。法的な育児休業は1歳6ヶ月までだし企業規定の育児休業も3歳までのところが多く、年子で3人とか無理なので実際は間隔を空けて10年近くかかることになる。

また共働きしないと家計が成り立たない世帯は保育園に預けざるを得ないので、彼らの話はしない。共働きしなくても家計は成り立つけど働きたいから預けたいという世帯を対象にする。

それから、3歳までは親が育てたほうがいい等の育児論や教育論もここでは扱わない。

男女平等と自己実現を尊重する価値観

昔は男は外で稼ぎ女は家の面倒を見ろという価値観だったかもしれないけど、現代は違う。男女平等が叫ばれ女性の社会進出が叫ばれ、それが実現できてきているように思う。

男女関係なく個人の自己実現を尊重する風潮が少なくとも若い世代ではあるんじゃないかなと思う。いわゆるやりたいことをやってなりたい自分になるってやつだ。

僕も妻には働いて欲しいというか、自分のやりたいことをやってほしいと思う。だから育児の負担は半分ずつにしたいと思っている。

なのでここでは男が女がどっちがという話はしない。

女性の権利等の話はちょうど今日素晴らしい記事ホッテントリ入りしていましたので、そちらを読むことをお勧めします。

働き盛りに仕事を長期間休まないといけないのは辛い

3人の子供を育てるとなると、2人で負担を分担しても5年、片方だけが負担するなら10年を乳幼児の育児に専念することになる。

5年とか10年の休業というのは20歳で就職して60歳で定年したときに就労できる40年の間のそれぞれ12%、25%に相当する。

しかもただの5年、10年ではない。大半の人は20代後半から30代の一番仕事がノってきて頑張らないといけない期間に休業することになる。復帰する頃には30代後半や40代に突入している可能性が高い。

その期間働けないということはこの年功序列の日本社会においては残念ながら出世に大きく影響がある。出世を望まなくとも10年のハンデは非常に大きい。

転職をしようと思ってもただでさえ雇用の流動性の低い日本でブランクを抱えて40歳前後で転職というのもなかなか能力と経験がずば抜けていないと難しい話だ。

だから活躍したいのに保育園に預けられなくて日本死ねって言いたくなる気持ちは痛いほどよく分かる。

働きたいから子供を保育園にあずけるのは確かにワガママです

そうした自己実現のために子供を保育園に預けたいという願望は確かにワガママだと言える。それは間違いない。

ただ、そういうワガママな人たちに国のせいにすんなとかワガママだとか自己責任だとか努力が足りないとか地方に引っ越せとか言っても何の意味もない。むしろ逆効果だ。子供を産んだのに日本の社会はなんて酷い仕打ちをするんだと思ってしまう。

そもそも共働きしないと行きていけない人たちしか保育園に預けてはいけないなんていう決まりはない。会見で化粧している余裕があるとかブランド物の抱っこ紐だとかいう批判は筋違いも甚だしいので取り合う必要はないだろう。

保育園問題に対する批判は出産を萎縮する

子供を産んでも自己責任といわれ何かを要求するとワガママだと叩かれる風潮が出来上がってしまうと、子供を産みたいと思う人は減ってしまう。

今の御時世結婚は損だから独身でいようとか子供を産んだら自分たちの時間や使えるお金が少なくなるから産まないでおこうみたいな主張が少なくなく聞かれる状況なのだ。

その上更に、子供を産んだうえで自分の生きたいように生きようとすると社会から叩かれるような空気を膨らませるとますます少子化が加速する。

レベル0の勇者をパーティーに加えて稼いだゴールドを勇者の装備につぎ込みスライム狩りを始めるのだ。2人で海外旅行に行くのもおしゃれなレストランにいくのも無理どころか外食すら厳しい。親達の自己実現など程遠くなってしまう。

個人の最適解は子供を産まないことになる

そうなってくると彼らの個人としての最適解としては子供を産まないということになる。

これは結婚しない・子供を産まないのがお得という風潮にも既に現れている。

子供のために家賃の安い郊外に引っ越して長時間かけて通勤し、趣味も我慢して節制に励む。そんなことするぐらいだったら子供なんてイラネって考える人達は今後ますます増えてくるんじゃないかなと思う。

この発想は特に自己実現欲の強うそうな高所得者層やインテリ層に多いんじゃないかなと思う。そうだとすると後は言わずもがな。

こんな風にもし個人が自己実現のために局所最適化を行うこと自体が嫌なのであれば「1億総活躍」みたいなことは言わないでおいて欲しい。

産んだとしても1人で終わり

もう一度言うが、こういう人たちに「ワガママ言うな、死ね」といっても何の意味もないのだ。「じゃあもう子供産むのやめよー」ってなるだけなのだ。

1人産んで保育園に入れられず、それに文句を言ったら袋叩きに遭う、こんな仕打ちなんだったら2人目を産みたいと思えるか、というより1人目の育児で精一杯で現実的に産めなくなるよね。そんな苦渋を舐めた人たちが2人目を産もうと思わないよね。

それに1人目を仮に保育園に入れられたとしても2人目も保育園に入れられる保証はないのだから(優先度は上がる)、保育園に1人目を預けられたとしても不安は拭えない。

自分たちの遺伝子を残したいという目的であれば子供は1人で十分なのだ。

国がやるべきことは「囚人のジレンマ」の解消

個々が自分の利益を最大化しようとした結果、系全体にとって望ましくない結果になることをゲーム理論の用語で「囚人のジレンマ」と言う。

今のままでは個人が自己実現のために人生を最適化すると子供を産まない選択肢をとるようになり少子化が進行する。これは国家にとって望ましい結果ではないと思う。

そうならないように、1億総活躍の自己実現を求めて国民が個人の人生の最適化に走る時に、国家として利益を最大化できるような仕組みを作ることが政治家の仕事であると思う。保育園を作らない理由をたらたら述べるだけの人はいらない。

もし出生率が増えることが国家として望ましい結果なのであれば、子供を産めば産むほどお得になる制度を整備しないといけない。例えば環境問題のために「エコカー減税」でやったように。出生で言うなら政策ではないが一企業であるソフトバンクがやっているように。

僕は保育園問題の専門家ではないので、保育士の給料がどうとか騒音問題がどうとか独身税の是非とか不妊の人への配慮といった個々の戦術について提案・議論するだけの知識を持ち合わせていないので、そのへんの議論は専門家にお任せするが、日本国家の戦略としてこの方向性は間違っていないと思う。

保育園が増やせないなら移民を受け入れることになる

3人産まないといけないのに産む気のある人が1人で産むのを止めてしまう社会になると当然人口は減少の一途をたどる。そうすると経済を支える生産年齢層がむちゃくちゃ減る

そうすると年金システムが破綻するのは容易に想像がつくだろう。

そうならないよう生産年齢層を増やすためには外国から人を招かざるを得ない。つまり移民の受け入れだ。

日本の風土や文化を鑑みると、移民受け入れは合わないと思う。受け入れたとしても慣習や文化の違いから様々な場所で軋轢を生み、日本人のストレスはマッハだろう。すでにそのようなことが起きていることは度々マスメディアで取り上げられていると思う。今後それが加速すると、今は関係ないと思っている人も巻き込まれることになるだろう。

保育はもはや福祉ではない

生存のためには必須ではないが最低限の幸福の実現のために行われるのが福祉であるならば、もはや保育は福祉だと思ってはいけない。シラク三原則のブコメでも指摘があるように国家の義務として保育を扱い、家族構成や両親の生き方や経済状況に関係なく産まれてくる全ての子供を育て上げる仕組みを作れないのであればこの国に未来はない。

保育園問題は20年先の種まきだ

当たり前の話だが生まれたての赤ん坊が成人するまで20年かかる。

つまりこの保育園問題は20年先への投資であることを理解して欲しい。

逆に言うならば、問題が生じてから対応しようとしても効果が現れるまでに20年かかるということだ。問題に気づいた時には既に手遅れになっている可能性が高い。

そうならないためにも今このタイミングで何かしらの対策は講じなければならない。

もしかしたらもう遅いのかもしれないけどね。

誰が声を上げるのか?

で、この問題に誰が声を上げるのだろうか?

保育園に受かった親たちは通知が届くまでは皆同じ気持で元ネタの記事を読んでいたに違いないと思う。1つ歯車が狂っていたら自分も日本死ねという側になっていたのだ。

でも保育園に受かったら受かったで今度はそっちに集中しなきゃいけなくなる。彼らとしては政治活動をする余裕があるなら子供にリソースをつぎ込みたいのだ。送り迎えがあるから早く起きて家をでなければならない。デモする余裕があるなら少しでも睡眠時間に充てて体力の回復に努めたいというのが本音だろう。

そうなると声を上げるのは落ちてしまった親たちになる。彼らも3歳児クラスで保育園に預けられるようになるかもしれないし、小学校に入るようになったら過去の話になってしまう(今度は学童問題が待っているんだけどね)。

すでに指摘があるように継続してこの保育園問題を政治に訴える人はいないのだ。

保育園問題は国家の生存戦略の問題です

保育園に預けられる預けられないとかで困ってる人が声を上げるべき問題では無いんです。

国家として次の世代をどう繋いでいくかという問題だと思うんです。

家族構成や両親の生き方や経済状況に関係なく、産まれてくる全ての子供を育て上げられる仕組みを国家として作り上げて、全ての夫婦が安心して子供を産めるようにして下さい。

政治家の皆様、そこんとこよろしく。

FAQ

Q. 家から働けばよくね?

A. 子供の面倒見ながら仕事とか無理

Q. 保育園じゃなくて親に預ければよくね?

A. 自己実現のために親の自己実現を犠牲にするとか鬼畜。子育て終わったと思ったら孫育てとか地獄っしょ。

あとは思いついたら足していく